まず、僕の母校の光明を例に上げよう。光明は1932年に作られたが、戦前世代は勿論、戦後の卒業生もしばらくは結束が強く、同級生で「しののめ」という身障文芸誌を作り、身障運動も展開した経緯もある。在校中は生徒たちは学校にいつも目が向き、絆も強く、特に校長先生の言葉に耳を傾ける者ばかりだった。ところが、何故か、僕の少し上くらいの世代から在校中もテレビの話ばかりして学校には目が向かず、校長の話も耳を傾けないのが当たり前になっていた。校長を陰で笑う人たちもかなり出ていた。当然、卒業後は離れるのが当たり前に。光明の卒業生を集めて、身障運動しても話もバラバラ。うまくいかないと。
先輩世代と僕などの世代は何が違うのか、僕も変に感じてきたが、理由も「テレビ」ではなかったか。そう考えると、一切が明らかになる。何も光明だけでもないだろう。父母の話では、昔は学校縁は強かったようだ。付き合いはずっと続いた。でも、これも僕の世代あたりから崩れている。理由は父母も判らなかったが、これもテレビ。テレビの普及で、学校縁も相対的になり、薄らいだわけだ。
無論、以上は悪い面だけでもない。特に国の役所関係で、昔は学閥が。各大学出の人たちがグループを作り、排他的になった経緯が明治からあった。段々薄れていったわけだし。身障者も健全者も、学校に捉われない関係を作れるように次第になった事は進歩だと言えるし、僕の島田行きもその一つだとも思える。
今はインターネットの時代だから、学校縁はさらに衰えているわけである。衰えいくものを復活させることは難しい、ムリだろう。でも、ならば、良くなった方に目を向け、新しい関係を築こうではないか。