特定の異性を好きになる、いわゆる恋心は男女共、心の奥底から来るものではないか。もし、その根が性欲ならば、特定の人を好きになる事は説明付かないから。性欲だけならば、本当に乱交が当たり前になるはずだし。
ただし、誰でも自分の心を見失った時は、心の奥底から来るものにも気が付かないから、異性を好きになる事はないだろう。寂しいから、又は、性欲任せに異性を求める事はあっても。平成に入り、社会や経済構造が大きく変わり、世代の別なく、日本では自分の生き方や心を見失った人たちが非常に多い。自分のやりたい事も判らないような人たちも増えている。恋愛が失われた大きな一因もそこだと。もし、不景気が一番の理由ならば、平成よりもはるかに貧しかった江戸時代の江戸庶民の恋愛は説明が付かなくなるからね。また、個人的な事だが、僕も自分の心を見失った時期は異性と付き合っても何も感じなかったわけだし。その時期が長かったと言おうか。島田の小説を書き始めてから、自分の心も再び見えてきたと。それから、高齢者恋愛が増えているそうだが、確かに自分の心がよく見えている高齢者たちはそうなってもおかしくないと思う。人間の恋愛もこれから発達する量子科学でないと解明できない気がする。性欲説は本当に上べだけだと。
恋愛に限らず、心の問題も社会を見たり、小説を書く上で、極めて大事だと思うね。恋愛や結婚の問題も社会問題や福祉問題の一つに入れないといけないと思う。それを無視してきたから、今は高齢者福祉関係で大変な事になっているわけだ。無論、昔の島田療育園でもその問題も潜在的にあったわけだし。