トシコロさんの日記

2019年 07月20日 14:29

S園の正体

(Web全体に公開)

  島田療育園である。1961年(昭和36年)設立。初代園長は、小林提樹医学博士。小説では「林田」としてある。


  ねむの木学園よりも少し早くに作られたそうだ。一応は日本初の障碍児施設になっているが、あるいはそれよりも非常に早くに作られ、歴史に埋もれたままになっている所もあるかもしれない。歴史は常に変わるものだから。

  インターネットで調べると、島田療育園の評価は両極端である。「日本の障碍児を福祉のない時代に救った」というものもあれば、「園児へのお仕置き、殴り、絶食などが常に繰り返された。大人園生への子供扱いも当たり前だった」というものもある。

  当然、時代によっても違ってくるわけである。今までの拙小説にも輪郭を描いたが、設立当初は園長以下、一生懸命障碍児の世話をしていた。それが新聞やテレビ、ラジオにも載った。好評価する人たちは創立期の事を中心に見る例が多い。

  それに対し、次第に低賃金に耐え切れず、職員ストが多発もして雰囲気は荒れた。また、園児たちは、身障にしろ、知的障碍にしろ、成長するにつれ、自我も芽生えて強くなり、職員などの言う事も聞かなくなり、いつまでも子供に見られていたため、園当局も、職員たちも対応ができなくなり、感情的な性格の職員ほど、「お仕置き」して、虐待にもなっていったわけである。丁度、親は我が子が成人になっても、小さい時の感覚のまま接するが、そのような事が島田療育園でもあったわけである。小林博士はプロテスタントの信徒だったし、職員たちもキリスト信仰を持つ者が多かった。キリスト教の「愛」は親子愛とは異質で、はるかに大きなものだが、日本人クリスチャンにはその辺が受け入れられず、親の愛を隣人に施して中途半端になり、挫折する例も多いわけである。その辺のこともすでに小説に書いた。「みんな可愛い」という林田博士のセリフも。それも狂った理由の一つだと見ている。

  1980年ごろ、ある身障ミニコミ誌が島田を取材し、「お仕置き」などの事にスタッフが心痛め、そのミニコミを読んでいた当時の八代英太参議院議員も知り、そこを視察した後、国会で「そこは障碍児の自立がなされていない。国としても指導する必要があるのではないか」と、時の厚生大臣に代表質問するなど、大騒ぎにもなった事もありました。そのミニコミは当時としては、非常によくやったと思います。但し、書き方が悪口ばかり。それも立場上当然ですが、それからかなりの時がたった今は僕がそのような書き方をしても始まらないわけです。良いものは良い、悪いものは悪いと両方書くわけです。


  僕も少しだけそこを訪問しましたが、それに目を奪われ、同時に行ったハンセン氏病の多摩全生園の事も何も見えない状態でした。当時の全生園には「お仕置き」はなかったから、「島田よりもマシだ」と思ってしまったわけです。伊藤まつさんというおばあさん患者が僕を可愛く感じてくれて、それで全生園にも行き続けましたが、まつさんなる人がいなければ、全生園もすぐ止めていたわけです。それだけ当時の島田療育園は根が深い問題がありました。

  また、小林博士は西洋医学ばかりで、漢方医学を知らなかった。それゆえ、脳性まひの身体硬直には対応できず、一時的にそれを緩和させる医療用麻薬を常に脳性まひ児に服用させてもいたわけです。当然、体に悪いですね。それも付け加えておきます。

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