トシコロさんの日記

2019年 06月10日 13:26

徳の高い人たちの「同じて和せず」

(Web全体に公開)

 孔子は「小人の交わりは、同じて和せず」と述べた。小人とは、現代日本語に直せば「愚か者」になるだろうか。また、「和せず」の果ては大ゲンカである。余り考えずに、集団心理に流され、一緒に皆で同じ事をして、行き詰まる例が孔子の時代の中国にもかなりあったと思われる。


  ところが、歴史を見ると、徳が高いと思われたり、知的エリートだと思われる人たちが、特に同じ社会変革運動をやり、最初は一緒にやれても、対立し、和も消え、最悪の場合は殺し合う例も多い。日本の幕末から明治初めの「西郷隆盛と大久保利通」、20世紀中国の「毛沢東と林彪」、同世紀ロシアの「レーニンとトロツキー」などは典型例である。キリスト教関係や仏教関係になると、そのような例は調べれば無数に出てくる。それぞれ意見対立から分派を起こし、互いに悪魔呼ばわりするわけである。

  以上はどのように見れば良いのだろうか。昔から僕も考えてきた。また、40年前の日本の首都圏では、身障者運動する者たち、それも脳性まひ運動者同士も、以上と同じ経過をたどる例が多く、更に考えさせられた。

  人間の持つ特性から来ているのではないか。人間は心を持っている。心なるものは本当に一つ一つ違う。一人一人の置かれた立場も一人一人違う。脳性まひ者間、聴障者間、労働者真と。心も、立場も違えば、物事への見方や意見も一人一人違ってくる。当然、未来社会の理想像・目的も一人一人違ってくる。長年一緒に運動しているコンビや仲間でもそうなる。最初は相違に気が付かないだけで。しかも、運動に非常に打ち込み、のめり込む状態だと、自分の描くものだけが未来ヴィジョンだと思いこみ、コンビ相手や仲間が少しだけ違ったヴィジョンを述べても、インチキみたいに見えて、次第に相手や仲間を非難するようになり、最悪の場合は殺してしまう。こんなメカニズムではないかと。

  特に社会変革運動は他人と一緒にやる事は極めて難しいのかもしれない。

  この種の件の解決策は、社会変革運動したい人は個人で、自分の守備範囲内だけで、していく事だろう。特に、文を書く活動は個人でないと昔からできないし、今はパソコンやスマートフォンを使えば、個人活動も容易にできる時代になっている。IT技術の更なる発展で、今後はますます個人運動が増えていくと思う。

  「各人が守備範囲内で、個人運動」していけば、以上のようなケンカは起こらず、社会も非常に理想の状態になっていくかもしれないと僕は見ているが。各々守備範囲も限れば、他人のする事をインチキとも思わないだろうし。

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