僕の行った例のキリスト教派の事です。色々な考え方があった。中には「聖餐式をすれば絆ができる」という考え方もあった。「聖書を研究すれば、絆が」という発想も。当然、男には「性は結ぶ」とか。いずれも心が欠けていた。聖餐式もそれ故に冷たいものになっていたし、聖書研究も理屈ばかりで。新約聖書には「心を尽くして、神を愛せよ」とありますが、心がない。だから、つなぎにはならず、心を込めれば、あるずもないレイプ牧師が二人も出た。X君排除の件と同根でした。
一神学生が「日本人特有の甘えのせいだ」と言っていましたが、事態はもっと深刻でした。19世紀以来の唯物論にそっくり飲まれていたと。でも、その教派だけでも、又、日本だけでもない事はアイルランドの件でよく判ります。そっちの方がひどいと言おうか。唯物論は元々はヨーロッパから出たわけだし。
その神学生は半分冗談、半分は真剣に「ノストラダムスとか、ファチマの第3マリア預言も連想すると」言っていました。どちらも「教会の中に悪魔が入り込み、凶悪事件も教会内で起き、教会は潰れていく」という内容のもの。無論、それらはヨーロッパから見て辺境の日本の教会の事は何も言っていないわけですが、悪魔=唯物・経済主義と解釈すると、その通りに世界的になってきているわけですね。その神学生は後年は牧師になりましたが、今はどうしているでしょうか。悲しい気持ちになっている事は、察するに余りがあります。
心がないと恐ろしい事なる。心愛ちゃんの件もそうですし、離婚多発を見てもそうですね。心が欠けています。僕も嘆きます。