若い時に僕は多くの会を転々したが、どの会も仲間内でさえも判らないような難しい言葉ばかり使って、結果的にはムードだけになっていた様子をたくさん見てきたからである。例えば、「地域コミニティ作り」とか「社会変革」などである。思い出せない言葉も沢山ある。それらの特徴は、具体的な未來ヴィジョンを構成員は誰も述べないで、そのような言葉を使う点である。確かに、社会変革したいのならば、少しでもその未来の具体的な姿を示せるだろうに。やがて、ブログで書く予定だが、それである福祉会は活動先で誤解され、僕もトラブルに巻き込まれ、大変な事にもなったこともあった。 また、 僕が行ったキリスト教関係も抽象的で、内輪にも通じない話を牧師含む構成員がして、意志疎通不足から誤解・ケンカも多発していた。どこの会も、「言葉の説明」が欠落していた。
日本中が絆という言葉を使い出して、次第に以上の事が思い出され、以上の現象がネット社会でもあり、日本全体に広まったのではないかと思った。
もっとも、「言葉の説明の欠落」は外国でも見られる現象。文化大革命の時の中国各地とか、宗教戦争を繰り広げた時期のヨーロッパのキリスト教関係とか。何も日本だけの現象でもないだろう。ただし、そのようなものはろくな例ではないので、自分でも判らない言葉は使わない方が身のためであり、社会のためでもあろう。僕も「判らない言葉」は使いたくないものだ。
コメント
Yoshi
2019年 03月12日 10:02
ボクも「判らない言葉」「意味の判らない言葉」は使いたくないですね~