kinchan2008さんの日記

2019年 03月08日 21:31

人間は単純じゃない

(Web全体に公開)

(画像出典=デイリー新潮)




親の視線を気にして生き続け
同年代コミュニティに適応し損ねた美女の手記です。

似たような話題は

ここ5年間くらいで

かなり読んだ(直接見た)気がしますが

描写がリアルで
勉強にはなりました。

>この関係は「僕に好きな人ができるまでね」と偉そうに言われていた

たとえそうでも
それを相手に明言する男も
そう言われておつきあいし続ける女子も

結構驚きの存在です。


ただ
記事の中で書かれている

「恋愛に関する心理学系の本を読むとどれも、親からの愛情が欠けている部分を恋愛で埋めようとする、といったことが書かれていた」

には例外も多いと思います。


スクールカーストにしても
たいていは
その水面下で疑問を持つ生徒が多数いるものです。

そこの横の連携がないために
裏のシステムの中で身動きできないのが普通ですが

洞察力と合理的な判断力のある指導者や
力量のあるリーダーがきっかけをつくることで
パワーゲームを乗り越えていくケースも
ゼロではありません。


そういう意味では
「カーストシステムは変わらない」と諦めることが
システムを強固にしているという言い方もできるでしょう。


人間は
ざっくりと分類できるほど
単純な存在ではないと思うのです。




https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190308-00556703...

「美人なのに自己肯定感が低い」31歳女子を形成した壮絶半生(抜粋)


3/8(金) 7:00配信 デイリー新潮


スクールカースト最底辺の暗黒時代
 
 かつて私の自己肯定感はひどく低かった。過去形なのは、今は自分を受け入れられているからだ。親には愛されて認められて育った。なのになぜ、こんなにも自分に自信がないのか。決して美人とは言えない女性が堂々としている姿や、恋人といちゃついている姿を見ると、自分がとてもみじめになると同時に苛立ちを感じていた。

  一昨年、父方の祖母が亡くなった。おしゃれが大好きな祖母だった。最近、父が古い写真をデジタル化して整理しているようで、若かりし頃の祖母の写真が私にそっくりだと送られてきた。そこには、女優のような美人の祖母が写っていた。そして、私に瓜二つだった。私は流行の顔やモデルになれるほどのスタイルの持ち主ではないが、客観的に見ると美人の部類に入るのだ。

  地元は九州の片田舎。周りは農家や畜産業か、お父さんが会社員でお母さんは専業主婦という家庭ばかりだった。そんな中我が家は、父はフリーの翻訳者、母は養護教諭。特別裕福というわけではなかったが、毎年海外旅行へ行き、中高は私立一貫校、大学も私立へ通わせてもらった。周りの子たちに比べると、文化的環境に恵まれた家庭で育ったと思う。

  記憶が曖昧な部分も多いが、親の期待に応えようと日々気を張っていた。サンタクロースなんていないと小2のときに同級生から知らされた。けれど、信じている子どものほうが可愛いと、小5まで信じている設定にしていた(それに、いないと分かるとプレゼントをもらえなくなるかもしれないという姑息な思いもあった)。私はずっと「公式プロフィールの私」を演じていた。
  
  中高時代はさらに暗黒だった。親の期待に応えるためにはスクールカースト最底辺の良い子でいなければいけなかったし、何より上位の甲高い声でおしゃべりに興じる女子たちが怖かった。上位の男子からいじめに近い仕打ちを受けたこともある。でも、心の底では上位に入ってちょっとだけ校則違反のメイクをしたり、スカート丈を短くしたり、きらびやかな格好をして、楽しんでみたい気持ちがあった。

  進学のため、18歳で親元を離れて上京した。この地には、私がスクールカースト最底辺だったことを知っている人はいない。私は生まれ変われるのだ。清々しかった。楽しい学生生活が始まった。女子大だったが、変なカースト制度なんてない。群れたい人は群れているし、一人で行動したい人は一人で行動している。自由を謳歌して、エクステをつけたり、母親が嫌がりそうな109系のギャルっぽい服を着て濃い化粧をしていた時期もあった。


好きな男からの「モラハラ」
 
 そして1年前、私は精神を病んで心療内科を受診した。過労が大きな要因の一つだったが、追い打ちをかけたのが失恋・依存対象者の消失だった。音もなく心が崩れた。しかし、仕事だけは私を認めてくれる。記事を書けば莫大なPV数を叩き出し、それに見合った報酬が入る。完全に脳と感情は麻痺していた。とにかく仕事。仕事だけが私を認めてくれる、とパソコンに向かった。

  私をジワジワと殺していったのは、当時私に一瞬好意を抱いて言い寄ってきた男性からの言葉の暴力だった。仕事以外で私を求めてくる男性はいなかったので、私はのちに彼に依存することになった。ちなみに、お付き合いはしていない。

 「なんでそんな、田舎の女子大生みたいなダサい服着てんの?」

  ある時彼にそう問いかけられた。当時、私はOLっぽい小綺麗な所謂「彼ママウケする服」を着ていた。このブランドはうちの母が大好きで、帰省するたびに一緒に買い物に行き、試着室で私に着せて「いいね」と褒め、多いときは一度で6万円分近くの服を買ってくれた。学生時代に仲の良かった友達もこの界隈のブランドが好きで、一緒に買い物に行き、色違いでお揃いの服を買ったこともある。そんな友達との楽しい思い出も一緒に、彼から踏みにじられたように感じた。

  もしかして私は、とんでもなく変な格好をしていて、それを見てみんな嘲笑しているのではないか。そんな妄想に囚われ、外を出歩けなくなってしまった。それを見かねた友人が、私に似合いそうなカジュアル系ブランドの店に連れて行ってくれ、そこで大量に試着をさせた。
  それからも何度か友人に買い物に付き合ってもらい、私は完全にファッションを変えた。ロングだった髪もバッサリと切ってボブにした。

  ところが、ここまで努力して変えたファッションを見た彼の反応は「本当に服変えるなんてドン引きする」だった。お前が言ったんだろうが。彼いわく、以前の私の格好は個性がない、そして人に言われてから変えるなんてもっと「個」がない、とのことだった。「人の顔色をうかがっている姿にイライラする」とも言われた。明らかにモラハラであるが、そのときの私はモラハラをモラハラと気づけなかった。


失恋して摂食障害再発、原稿が書けない
 
 そんな彼に突然彼女ができた。確かにこの関係は「僕に好きな人ができるまでね」と偉そうに言われていたが、ついにその時が来てしまった。私が積み上げてきたもの全てが崩壊した。10年前にも一度やってしまっている摂食障害をぶり返し、私の体重はみるみる間に落ちてガリガリになった。体重が軽過ぎて、ノートパソコンと一眼レフカメラを入れたリュックを背負ったまましゃがむと、後ろにひっくり返ってしまうほどだ。

 「幻聴が聞こえて涙が止まらなくて頭が回らない。原稿が、書けない」

  レギュラーで記者をしている雑誌の入稿日に、キーボードの上の私の手が止まってしまった。担当編集のTさんにあらかたの事情を話した。

 「何言ってんだ。お前は物書きだろ? だったら文章でやり返せ」


 「文章でやり返せ」

  その言葉の通り、私は一層仕事に励んだ。そして、デビュー作の本を出版して4ヶ月後には2冊目の本を刊行。2冊目は発売12日目にして重版がかかった。

  心療内科では発達障害の診断が降りた。しかし、私を生きづらくして恋愛にまで支障を与えているのは発達障害の特性そのものよりも「共依存的な考え」が私の根底にあると医師に説明された。共依存とは、親子や恋人がお互い依存し合うこと、と考えていたが、本を読んでよくよく調べてみるとちょっとニュアンスが違った。

  一言で表すと「自分よりも他人を思いやる」ということだった。

  主治医いわく、アメリカなどでは「個」を重要視するが、アジアを始めとする国は儒教の影響が強く、「親や目上の人を慕わなくてはいけない」「人に迷惑をかけてはいけない」という思いを抱く人が多く、共依存に陥りやすいという。主治医は「共依存そのものは決して悪いことではない」と、何度か強調して言った。

  でも、私の場合、共依存で生きづらくなっている。だから、自分の意思を優先する場面をもっと作っていいとのことだった。自分の意思。今まで、自分の意見を言ったり自分のやりたいことをしたりしたら、誰かに責められるのではないか、怒られるのではないか、と恐怖感を抱いて過ごしてきた。


「毒親」が恋愛に及ぼす影響
 
 少し自己啓発的な怪しい言動ではあるが、鏡に向かってにっこり笑い「私は可愛い、私は綺麗、私は愛される存在に値する」と1日1回唱え続けた。少しずつではあるが、私は自分を軸に物事を考えられるようになった。それと時を同じくして、私を肯定してくれる男性も現れた。

  すると突然、ご飯が食べられるようになった。食べ物には味があることを知った。今までは粘土でも食べている感覚だったのに。1年ぶりにラーメンを完食した。食べることへの罪悪感も全く感じない。

  話は冒頭の故・祖母の写真の話に戻る。客観的に見ると、自分の容姿は悪くなかった。もちろん、もう31歳なので若くはない。けれど、そういう年齢の面も含めて自分を受け入れられるようになった。

  自分の生きづらさを親のせいにしているつもりはない。人から見れば「過干渉気味な毒親」と思われるかもしれないが、そう思う人がいてもいいと思う。それほど、家庭環境と恋愛は密接な関係があるのだ(恋愛に関する心理学系の本を読むとどれも、親からの愛情が欠けている部分を恋愛で埋めようとする、といったことが書かれていた)。

  久しぶりに会った某女性編集者からは「表情が明るくなったね!」と言われた。ようやく私は、愛されてもいい存在だと気づけた。
  
  しかし、つい数日前、飲み忘れや頓服のメンタルの薬の量を見て「これだけあれば致死量に至る」という発想が生まれている自分自身が怖かった。まだ死にたくない。

 「死んでたまるか」は、戦時中を生き抜き(10人きょうだい中5人が戦死した)未だ存命中の御年93歳の母方の祖母の口癖だ。そう、死んでたまるか。この世に生を受けてしまったのなら、今日も人を愛し愛されて生きてやる。 

姫野桂(ひめの けい)

 2019年3月8日 掲載

新潮社

コメント

Yoshi

2019年 03月09日 09:38

>親からの愛情が欠けている部分を恋愛で埋めようとする。。。おもしろい!
この考えはなかったです
なるほど!納得しました^^

kinchan2008

2019年 03月09日 21:17

>Yoshiさん

そういうパターンがあるのは同感です。

それだけで全部説明できるわけではないと思いますが。


(・ω・)y

つっちぃ

2019年 03月10日 11:32

親に左右されるな‼️
自由に生きる人生もありなのでは…

kinchan2008

2019年 03月10日 20:04

>つっちぃさん

コメントありがとうございます。

幼い頃は
やむを得ませんが

成人したら

親の支配から
心理的に脱出しても良いと思います。

(・ω・)y

つっちぃ

2019年 03月10日 23:43

>kinchan2008さん
しかし 親が歳とると 介護のことやらで
逃げられませんよね
ましてや認知症の親持つと苦労が絶えませんよ
だから一度は自立という事で一人暮らしの経験も
しておくべきですよね

kinchan2008

2019年 03月13日 19:49

>つっちぃさん

日本の福祉水準は

本当に劣悪ですね。

個人的には

ローンまでして
アメリカから5兆円も兵器を購入するなら

そのお金を
高齢者福祉や教育に
注いでいただきたいものだと感じています。

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