1月10日に書いた受験問題の遅い続きである。児童・生徒には、遊びや勉強、スポーツの他、「交友・友情作り」も大切な教育の柱である。それは世界中の教育家たちが指摘している事である。ところが、戦後の日本では親や先生たちは子供にその大切さを教えない例が多いようである。特に、過酷な受験競争を経験した人たちほど、そうらしい。「受験する他の仲間を踏みつける感じで受験しなさい」と親や先生に言われた人たちもかなりいたし、教えられなくても、そのように生徒自身も考える例もかなりあったようだ。他の資本主義国には見られなかった現象であり、資本主義とは別要素になると考えられる。その親や先生たちは子を持つ・教師になる前にどのような経験があり、どんな日本社会だったのか。「戦中・終戦直後の飢え経験」を僕は思わざるを得なかった。
その時代、戦場に行かない人たちもほぼ全員が飢えを経験した。食べ物がないわけである。父母から聞いた話によると、日本各地で「食べ物の奪い合いが行われ、大体、友人をだます感じで、その食料をだまし取る例が非常に多かった。中には、親戚間もそうした。飢えると、人間は他人をだましても自分が生きようとする習性がある」との事。「一緒にアメリカと戦う」題目は口先だけ。実際は自分の食べ物が欲しかった。それが人々の本音だったようだ。「一個のおにぎりを皆で分け合って」という発想は出なかったとの事。
以上ならば、戦争関係の飢えを経験した多くの人たちは、だまされた人たちは友情とか友人関係に重きを置かなくなるし、だました側も同じになる。その意識は豊かになっても簡単に変わるものではない。友情を置き忘れたと言おうが。そのような人たちが親や先生になれば、勉強やスポーツは教えても、教育の柱の一つの友情みたいな事は子供たちに教えず、「自分だけ受験に勝ちなさい」と教えるようになり、結果的に受験競争にもなった。推察が成り立つ。
太宰治という作家がいた。終戦直後、「走れメロス」という、自分の身を殺す結果になつても、友人を生かそうとする話を書き、後は謎の自殺を遂げてしまう。愛の理想追求だと言われているが、そうではなく、当時の友人をだましてもお米を奪うような風潮の痛烈な風刺だったのではないかと。
また、やはり、戦中・戦後の飢えを経験した世代の一人の映画監督の羽仁進氏がその著書の「放任教育」の中で、「友情ほど、当てにならないものはない」という謎の言葉を残している。確かに、それはその飢えを経験した人たちの本音なのかもしれない。
それと僕は思うが、友情の定義も日本ではあいまいになっている点。昔からそうだったようだ。友情や仲間関係と、甘え・甘やかしを混同する例が方々で目立つ。ならば、「友人をだましてもお米を奪った」間柄は本当は友情はなく、甘え関係だけが存在した。そのような例が元々日本に多く、それが飢えをきっかけに輩出しただけだったのではないかと。
とにかく、友人とだまし合いをしていたら、気持ちも自分だけを向き、社会や政治には無関心になる。戦争反省も出てこない。日本の政治無関心の傾向の根の一つになっていたかもしれない。戦中・終戦直後を経験した世代は減る一方だが、今の日本人に大きな宿題を残しているのかもしれません。
コメント
Yoshi
2019年 01月26日 11:50
同感です!
もっと政治に興味を持ってほしいですね