今日は、北宋から南宋への過渡期の陳与義の作った「中牟の道中・二首」の其一を紹介します。故郷洛陽から都・開封に向かう途中の中牟という町で作ったもの。
中牟道中・其一
雨意欲成還未成/帰雲却作伴人行/依然懐郭中牟県/千尺浮屠管送迎
雨意(うい)成らんと欲して、還お(なお)未だ成らざるに/帰雲、却って(かえって)作す、人に伴いて行くを/依然たり、懐郭、中牟県/千尺の浮屠、送迎を管す。
雨意=雨が降る気配。帰雲=山に帰る雲。人に伴いて行く=人の後を追うように進む。依然=昔のまま。懐郭=壊れた城壁。一尺=31センチ。千尺=300メートル。浮屠=寺の塔。
雨は降りそうで、まだ降らない気配の中/山に帰っていくように見える雲が、私のあとをついて行く/昔のままの中牟県の壊れた城壁に登って見ると/千尺はあるだろう、仏塔が、往来する人々の送迎役を務めてくれている。
雨の気配で始まり、雲を見て、後は中牟のお寺に目をやりながら、都への夢を含まらせている作者の気持ちが判りますね。「千尺」は作者の高揚する気持ちそのものです。1122年、母の喪が明け、大学博士試験に合格して、都に行く途中の作だから。でも、運命は判らないもので、1227年、以上の5年後に北の金に攻められて、宋の首都は南方の臨安に代わっています。その夢もついえたわけです。歴史の定めですね。4行から歴史の一コマが見えると言おうか。漢詩にはたくさんのドラマがあるわけです。
写真はその中牟県にある中国風の社(やしろ)。そこの古いお寺の写真はなかったです。ディズニーランド風の観光用のお寺を模した建物はありますが。歴史を重んじた毛沢東時代までは中国はかなり昔のものを残していました。でも、今の中国も経済主義になり、昔のものは切り捨てて、かなりアメリカ化していると言おうか。中国人の選択だから、我々も何も言えませんが、漢詩を学び、皆様にお話しできて、こんな事まで知る事が出来ました。
コメント
Yoshi
2019年 01月12日 16:15
勉強になります~~
(≧∇≦)ノ