叩ける人がいるとして、元妻子と、氏や元妻の父母だけだと思う。
確かに、既婚の身でありながら、しかも、4人もの女性たちと性の遊びをしたことは無責任であり、かなりの罪はあると思う。特に、恋愛と遊びを氏は混同していた事は、恋愛文化の軽視であるし、それなら、かつて恋愛から結婚に向かった過去の事実も自ら否定する事にもなるわけだ。元妻の離縁も当然の結果だと思う。
でも、恋愛と遊びを混同し、恋愛文化を軽視する風潮は日本社会に深くあり、乙武氏もその風潮に何かのきっかけで、つい乗ってしまい、取り返しのつかない事にいつの間にかなっていたのではないだろうか。確かに、乙武氏は学校教育の事は非常に詳しい方だが、恋愛文化を考察した様子でもないし、そのような発言や著述もしていないわけだ。日本社会に生きて、恋愛文化について、考察していなければ、その巷の風潮に乘る事は十分ある。また、氏を叩いている人たちもどうなのか。自分たちはまともに恋愛文化の事を考えているだろうか。考えていたら、乙武氏の件から、日本文化の問題について考える人たちが多く出て来ても良さそうなのに、その気配はない。
先の「幸福とは?」の文の後半で、S園にいた非常に身体障碍が重い方たちの恋愛問題を書いた。恋文を書く事を認めていた園の姿勢は良かったにしろ、その面の配慮が欠落していたのは否めない。身障者のその面の問題意識は、日本の福祉関係では欠落していると僕も昔から思っている。でも、例えば、恋愛を単にセックスと同じだと考える人とか、仲良し関係と同じだと考える人たちが多く、大事な事だと考える人は日本には少ないわけである。恋愛を非常に尊ぶフランス社会などとは大違いである。
歴史を見ると、日本には深い恋愛文化が古代からあった。万葉集にたくさんそのような歌が詠まれているのが何よりの証拠である。少なくとも、平安時代まではあった。その後もあったと思う。でも、江戸時代になり、主君への忠誠と身分制度、イエ制度を重んじるため、恋愛はタブーになり、その代り、遊郭で性の遊びが公認され、恋愛と遊びが混同されるようになった。それでも、町人層には恋愛文化はあったものの、恋愛軽視の文化は江戸時代から始まったかもしれないと僕は思っている。明治になり、西洋から「恋愛」という訳語も入ったが、長年の文化意識は変わらず、恋愛は軽視され続け、軍事と経済がはるかに大きい価値とされるようになった。第二次大戦後に、憲法で婚姻の自由が認められ、当時の若者たちは恋愛に興味を持ったが、学生運動衰退と同時に若者たちも恋愛には興味が薄れる例が出始め、少しずつひどくなり、いつの間にか、恋愛レス・非婚の社会になったわけである。それでも、日本人の深層心理では、実際は恋愛を求め続けていると僕は見ているが。いつかは、万葉集のような恋愛文化が復活すると。
若い時の僕も恋愛文化については余り考えず、軽視していた面もあった。でも、S園の園生の恋愛行動や恋愛随筆が心に強く残っている。という事は、僕も心の奥底では、その事を重視していたわけである。因みに、恋愛関係は魂が作り、友情は理性が作ると今の僕は考えている。どちらも価値が高いものである。でも、仲間関係にも色々あるが、強い目的意識を持ち、作業が終わったらドライに関係が切れる仲間関係ならば良いと思うが、そうではなく、40年前の首都圏で多かったサークル会みたいなものは、メンバー一人一人の打算意識が作り上げるものだと考えている。そのようなものに若い時に情熱を燃やして、非婚になった人達もいるわけだし。打算関係は恐ろしいわけであるが、その話は質が違うから、別な機会に書くかもしれない。
乙武氏を叩く人たちも実際は、氏と変わりがなく、同じ状況になれば、同じ事をするのだろう。
とにかく、日本社会には病んだ面が色々ありそうだ。