前回の日記のコメントをふたつ掲示しておきます。
◆2018年 05月04日 00:11
本文の考えには 違和感を感じますね~
こういう考え方をする人がいると思うと悲しくなりますね
ボクは正義と思う方に進みたいと思います~
(≧∇≦)ノ
◆2018年 05月04日 09:21
本当に、うるさいくらいで命を落としちゃうこともあるのが世の中なんですよね。話しが通じない人には、会話という手段では関わりようもない。
私は昔、終電で座ってただけなのに若い男に頭はたかれたことがあります。一緒に降りて鉄道公安官に突き出しちゃろかと思いましたが、なにしろ終電。帰れなくなるのでやめました。やめて良かったなって今は思います。もしそんなんで命落としてたら、私の家族の一生をめちゃめちゃにしてたもの。
掲示終了。こっから本文。
その後被害者は死亡したため容疑は「傷害」から「傷害致死」になったようなので、これ量刑としても天と地ほどの差がある。
まあ量刑が重くなったとて65歳被害者の命が戻ってくるわけではないですがね。
ここで毎度お話ししている「正義の反対は悪ではなくてもう一つの正義」というお話しをコメントの一部のワードから抽出してお話しをします次第。
電車内で大声を出している中国人35歳に「うるさい」と注意するのは65歳会社役員にとっては「日本の電車のマナーに照らし合わせた正義の行い」と判断したと思われる。
一方中国人35歳は知り合いと楽しく会話しているだけなのになぜ見ず知らずの他人にそれを注意されるかどうか理解できないから「彼の正義として反論する」
正義と正義がぶつかり合い最終的には殺し殺されの関係になった・・・と。
ここまではいいよね。
しかぁし。電車の中で何ホーン以上で話してはいけないとかのは既定が無い以上マナーのよしあしは別として最初のきっかけを作ったのは65歳会社役員の方。「うるさい」かもしれないが「うるさいと注意するのは根拠の希薄な正義」っつー事なんですよ。
一方の中国人35歳は、この注意により楽しい会話をじゃまされたわけで「根拠の希薄な正義」に納得せず自分の正義を押してくる。「大声で話す権利」な。音量規制が無い以上モラル・マナーの問題はさておき、こっちの正義は65歳会社役員の正義よりは、やや正当性がある正義だとワタクシは感じるわけです。
こっからは「イフ」の話なんだけどさ。もしこれが65歳会社役員が中国人35歳を殺していたらどっちが正義かってことなんですよね。そもそも論として
注意する・注意される。
殺す・殺される
というふたつの事象は別々の事象。今回発生したのは②と③な。
①注意した上に殺す
②注意されたから殺す
③注意したから殺される
④注意された上に殺される
理由はどうあれ「殺人はいけない」というのが日本というフィールドにおいての法治の決まりごとであってさ。「大声を出してはいけない」とか「大声を注意してはいけない」っていうルールや正義は大義としては存在しないってのがミソなわけですよ。
だからトリガーはどうあれ「殺人者だから法によって裁かれる」という事だけがこの事件の結末である以上「被害者は殺され損」「自分の中だけにある正義を振り回した結果、命を落とした」と申し上げておるわけですねー。
マナーとかリテラシーっていう曖昧なルールはその村社会に存在する集団の民度とか意識とかが、ある範囲内に収まっていてこそ通用しうる縛りであってさ。国際化している日本の電車内。金持ちも貧乏人も非日本人も肩すり合わせて利用する空間は「いつ殺されてもおかしくない場所」として認識する必要がある。
よく海外に行くとツアーコンダクターが「こっから先は行っちゃいけません」とか説明するでしょ。それはそこを超えたら「日本人観光客には対応できない別の正義」がある場所だからなんですよ。
じゃあ何が起きても「しらん顔」が人として正しいか。というお話しになってくるわけですが、この話題は長くなりそうなので、またいつかな。はい。おしまい。
コメント
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2018年 05月11日 20:25
大昔、治安の悪い国をチャーターした車で移動してたとき、運転手さんがサービスで?わざわざ危ない界隈に行って、絶対に車の窓をオープンにするなと注意するので「サファリパークか」って思ったことがあります。あそこにあったのも、ひとつの正義だったんですね。
なたいつかの続きを楽しみにしてます。
ウイグル獄長
2018年 05月11日 21:03
>よもぎさん
熱湯風呂にまたがって
「押すなよ。押すなよ。絶対に押すなよ。」
と絶叫しているダチョウ倶楽部を思い出しました。
ちなみに「絶対」と言ったら、それは押す合図ださうです(笑)